Tadamasa Mori

Tsuyama castle lord was very good looking guy

Tsuyama castle lord was very good looking guy

皆さんご存知のように豊臣秀長は大変知的な武将で、豊臣秀吉が農民の息子でしたかなかった時から彼を支えてトップの武将になるまで経済面でも政略面まで支えた人物です。この豊臣秀長が自分の養女を忠政に正室として送り込んで繋ぎとめようとした、ということは当時の武将たちの中でも森忠政が光っていた証拠だと思います。 しかし、若い忠政にとってはいらぬお節介、既に愛人の竹という女性がいて息子まで設けていた彼としては困った事態になつてしまったといえるでしょう、それに当時の大阪城の中は淀君の偏執的な支配によって豊臣はすでに衰退しているわけで、豊臣の勢力図の中でも外様になっていたと思います。さて、忠政の兄、森蘭丸は18歳で生涯を終えるまでとても美しく聡明な若者でした。同じく忠政も美男であったといえるのではないでしょうか?しかし残っているこの彫像はあまり美男ではないですよね。

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History of Lord Tsuyama Castle 1

History of Lord Tsuyama Castle 1

美作藩津山城とその築城城主 森忠政(もりただまさ) 津山城は現代の岡山県津山市にあります。1604年に築城開始した時は本当に戦争に備えて森忠政が家族と家来と藩の領地を守りぬく気構えで作り始めた、大変考え抜いて当時の築城技術の粋を集めてやりとげた優れた設計の山城でした。 仮想の敵は徳川家康。そうです。外様大名になっていく過程での森氏の生涯の思いは、この築城の全ての形に表れているのだと思っています。 森忠政は織田信長の小姓を勤めた森蘭丸(成人名は成利:なりとし)の末の弟です。成利と下の兄二人は1582年、本能寺の変で織田信長と共に明智光秀に暗殺されています。忠政は母と共に甲賀の里に逃げ、明智勢が敗北してもしばらくは甲賀の里に住んでいたようです。それから京都に移り、1585年、16歳で豊臣の森家当主として越中津幡にて初陣、頭角を現していき、1600年の関が原までは豊臣の勢力内にいました。豊臣秀吉の弟豊臣秀長は長男を失ってしまつたので養女であった岩(いわ)を森忠政に正室として嫁がせます。ここから森氏の生き残りの苦闘が始まったのだと思っていますがどうでしょう?    

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