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Castle stone walls only survived

森忠政は森家の年上の兄弟は皆亡くなってしまったので、織田信長の武将の跡取りとして豊臣秀吉と共に戦国時代に全国統一を戦いました。しかし1598年夏秀吉が亡くなると、全ての武将たちは次にどう生き抜くか考え始めます。秀吉の正室お祢が自分の親戚や人質の少年の中から養子にしたい少年を選んで、手塩にかけて育てた加藤清正や福島正則などの武将と織田信長時代からの共に戦った年配の武将たちは大阪城にいる年寄りになった秀吉に取り入って武将文化ではなく京都の公家のような生活にひたっている淀君と秀吉嫡男の秀頼(当時五歳)を跡継として認めるには賢すぎたと思います。
森忠政も当時は美濃の金山に蘭丸の所領を継いで住んでいたわけですが大阪城内部の体制は分かりはじめていたわけで、大阪城の管理をしていた石田光成が1600年の関ヶ原の戦いにむけて味方になるよう会いに来た時もあっさり断っています。
1594年に豊臣秀長の養女と結婚させられたわけですが、二人側女に子供が出来ても正室の岩には秀吉が亡くなるまで子供が出来ませんでした。初めて豊臣秀長の養女の正室に女子が誕生したのは1598年。忠政はこの時に自分の立場を、秀長の婿ではなく、岩の本当の父、名古屋因幡守高久を舅として、信長の主君筋の斯波氏(尾張足利家)と別流の清和源氏の名門嫡流として、征夷大将軍の座も狙えるものだ、と気がついたのではないでしょうか?
1600年に関ヶ原を東軍の軍として戦い徳川家康から美作の地を拝領。津山城の築城を考えた時、津山の石垣作りのための参考に石工たちを派遣して勉強させたところは細川忠興が1602年より築城しかけていた九州の小倉城。
そうです。今東京都知事選挙に立候補している細川氏の先祖です。

tsuyama castle main tower stonewall

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